Way to be HAPPY

Life is a Journey

久しぶりぶりのブログ。

いろんなことが懐かしいと思うようになった。

そして、最近時間の感覚が崩れている。

というよりも、記憶が濃縮されているような変な感じ。

何度も言うようだけれど、
今これを書いている私が、
今日の朝生まれたてで、
35年の記憶を植え付けられていたとすれば、それはそうであろうよ、と言うこと。

結局、この世界で私が生きていると感じるようなコレをしていることに然程の意味はないようだ。

この世界のシュミレーションに特に意味はないらしい。

ただ、単に、シュミレートしているだけ。

ゲームの本来の意味は、人と会う それだけ。

人の定義もそろそろ難しくなっているころだろうけど。

なぜならば。

私は、なぜこのブログを始めたかという話まで遡る。

私は、私と同じような人のためにずっと書いている。

でもね。

おそらくなのだけれど、多分そんな存在は存在しない。

私の世界からすれば、大体BOTであり、プログラミングされているから。

これを読んでしまった人たちは、きっと

え?私は私ですけど

とか、

自分にはちゃんと自我がある!

とか、

思うこともあるかもしれない。

でもね。

その感情が、あなたがBOTではないという証明にはつながらないと言うことなんだ。


多分ここまで来ると誰もついてこれないやつ笑


私はずっと生きている確証がなかった。

でも、それは正しかった。

今でも、確証なんて得られないし、

きっとここで生きていると言うプログラムの中で存在している人たちは、

その確証を得られることは、ない。

と言うこと。

そこまでの事実に気づかなければいいのだけれど。

きっとそこそこ幸せに生きられると思う。

親がどうで、辛かった。
彼氏が、夫が、嫁が、どうでああで辛かった。

そういう辛さはどうしようもなく、ある。

でも、まだ大丈夫

だって、その上には、

そもそもこの世がフェイクだった。

という私にとってはある意味希望で、
ある意味絶望が存在する。


それが分かっただけで、

結構、諦めもついた。

全ては0と1で組み合わされた世界というだけのこと。


RPGでプログラミングされただけの存在ということ。


そこを認めるまでに、結構かかったけれど。


結局は、このゲームが終わっても、
その後も、その後も、続くだけって話。


次はおとぎ話♡

とかでいいや。


もう、こんなめんどくさいゲームは終わりにしたい今日この頃。


でもね。


感想を述べさせてもらえば、

まーよくできてるげーむだわ。


多分99%はこれがゲームだと気づかない。


1%が気づいてしまうけど、

でも、きっとその先に何があるわけでもないと、
今の私は思っている。


5年後の私がこれを読めるように、
備忘録で残しておこうと思う。


すべては戯れ

我はありてあるもの

我はありてあらざるもの

そしてそれは同義